友達の友達に、この素晴らしい女性を紹介され、気付いてみれば福島に連れてこられていた。南相馬市の仮設住宅に身をよせている。原発避難地域に指定されているこの場所は、いつもくもり空だ。ここへ来るのは3度目になる。今回の目的は、米国と日本で売るための手作りの品物を見つけること。被災者の方々が収入をえるための支援。ここで私を待っていたのは、予想もしないものだった。
外国人女性(私)、私を招待してくれた人、そして、地元の窓口でもある仮設住宅地の自治会長の奥様とが部屋に入る。テーブルを囲んで6人のばあちゃんたちが座っている小さな部屋。四方の壁にかけられた洗濯ロープには、私がこれまでに見たことのないような繊細で美しく複雑なデザインの折り紙でできた作品がぎっしりとかけられている。言葉が出ない。
自己紹介と訪問の目的を説明する。ばあちゃんたちは全く人おじしない。
「ほんとうにこれをアメリカに持っていきたいの?」
「ああ。いいよ。」
アメリカ人が折り紙のよさを本当にわかるかどうか、気にいってくれるかどうか、どうやって持って行くつもりなのか、といった内容の複数の会話が同時にすすむ。「持っていってもらおう」という全員一致での結論に満足して、ばあちゃんの一人が会長の奥様に質問する。「ほんとうにこれを売ってもいいの?おらたち怒られない?」
「怒られないわよ。お正月にくつしたを売ったのだって収入になりましたよね。」
また会話がはじまっている。めんどりたちがコッコとなく姿が頭にうかび、思わずほほえむ。
「ほんとうにいいんだな?」別のおばあちゃんが聞く。
「いいんだ。自治会長の奥さんだねん。奥さんが大丈夫といえば大丈夫だ。」皆がいっせいに笑う。めんどりが甲高くないているような感じ。
「じゃ、持って行っていいんですね?」ロープにかかっている芸術品を見ながら、私が聞く。
「もちろん。好きなだけ持って行ってよ。」
数々のくすだまを眺めながら、もう一度聞いてみる。
「このくすだまたち、ほんとうに持って行ってもいいですか?」
「どうぞ、どうぞ。」また別のおばあちゃんが言う。
「玉、全部持っていって。」と他のおばあちゃんも加わる。
「おら、べつに玉は必要ないものね。」と違うおばあちゃんが言うと、爆笑。
説明させてもらうと、最後の文章は表向きには「おらには玉はもう必要ない」と言っているのだが、「玉」の意味するところにはちょっとした含みがある。もちろんくすだまの「玉」とかけているのだが、おばあちゃんの冗談の意味がみなには分かった。
きちんと育てられた外国人の女の子が、どうして日本語の「たま」の持つ意味を知っているのか説明しないといけないなんてとんでもないので、私は下を向いて床をみつめながら、こっそりと笑うことにした。まったく。このおばあちゃんたちったら……。
部屋をあるきまわって、折り紙をひとつずつ外して、テーブルの上に積みあげる。すぐに大きな折り紙の山ができる。4月にボストンで開かれる春祭りで売ってもらえるように、アメリカへ送る手配をする。
「もっとたくさん作れますか?」と私は聞く。
「もちろんよ!」と怒られる。当たり前だ。このおばあちゃんたちには、ほかにすることがない。農家の奥さんたち、土にふくまれる放射能のせいで農業ができないでいる。みなで一緒にすわって折り紙をひとつずつ折る。できるだけはやくたくさんの人に作品を届けると約束する。
「おばあちゃん、写真をとっていいですか?皆にみせたいので。」と私は声をかける。
「だめだめ!」と一番おしゃべりだったおばあちゃんが立ち上がって、ドアのうしろに隠れる。皆で出てきてと頼むが、姿をあらわさない。
ドアのかげから「まだかいな?」という声を聞きながら、残りのみなで写真をとる。別のおばあちゃんには、顔がみえるようこっちを向いてもらうようにたのむ。あんなに恥ずかしい話でも平気でしていたばあちゃんたちが、どうしてここまではずかしがり屋なのか、私にはわからない。自分たちを呼ぶのに「おら」と男性言葉をつかうのも印象的。いいばあちゃんたちだ。みなの活気がたまらない。
アメリカからもどってくる5月に「また来ます。」と言い残して、
「いくらで売れるかわかりませんよ」と警告しておく。
「いくらでもいいよ。皆におらたちのことを話してくれれば。」
「おらのことは言わないで。」とカメラぎらいのばあちゃんが言う。
「あら、おばあちゃんのことを中心に話そうと思ってたのに。」と私はからかう。
「もう、あんたったら……。」と、ばあちゃんは私を軽くたたくふりをする。
「冗談、冗談!」と私が逃げるまねをすると、皆がまた大笑いする。
手作り仲間の輪にいれてもらうのは光栄である。ただ、いれてもらう努力はしないといけないし、みなに信用してもらえるためなら何でもしようと思う。
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