Wednesday, March 28, 2012

追悼式



喪中の意を象徴する黒の服に身をつつんで、男性女性、少年少女、あらゆる年齢や背景の人々が、追悼式会場となっている大きなコンクリート建物に入ってくる。大勢の人たちがいるにもかかわらず、コンサート会場は静寂につつまれている。中に入ると、菊で出来た大きな花輪が私を出迎える。私たちが懇親にしている市議会議員が会場内にいて、私の腕をとると受付に案内してくれる。
受付では「お住まいの市町村名と、あなたのお名前をお願いします。」と、黒い服を着た若い男性に聞かれる。東京と言う代わりに「ボストン」と伝える。両方とも私の故郷であるから、実質的に嘘をいったことにはならない。
ここ数日間、町で見かけた人たちが立ち止まって深々とおじぎをする。私が出席したことに感謝してくれている。おじぎを返し、「もちろん、お伺いさせていただきました。今日、他の場所にいることなど考えられません。」と答えると、相手は笑顔を返してくれる。私も微笑を返す。
特別招待者やスピーチ予定者以外の一般参加者は二階席に座る。二階へ行き、座ってからステージを見おろす。ステージ中央には木製の大きな長方形の柱が建っていて、どことなく墓石を思い出させる。「東日本大震災で亡くなった方々のご冥福を祈って。」柱を囲んでさらにたくさんの菊。黄色に白、上品だがシンプルな飾りつけ。これがステージほぼ全体を埋めつくしている。
来賓たちが会場を埋めていく。私が知っている顔もいる。式は10時きっかりに始まる。まずは黙祷。全員が起立しておじぎ、一階最前列右のコーナーに席をとっているマスコミ陣のカメラシャッター音を覗いては物音ひとつしない。このシャッター音については複雑な感情がある。彼らも黙祷すべきではないんだろうか。犠牲者に敬意を払うことよりも、よい写真を撮ることのほうが大切なんだろうか。
役員たちのスピーチは大体似たようなものだ。市長、知事、市議会議長、復興庁代表者、皆がとても政治的で形式的。それも悪くはない。ただ、感情に訴えるスピーチではない。
そして、遺族代表の言葉。彼と以前会ったような気がするが思い出せない。彼は起立して、参列者全員に向かっておじぎ、ステージに向かっておじぎ、ステージに向かって歩いていきさらにおじぎをする。そして、スピーチを読み始める。
彼は震災で妻と母親を失った。地震が襲った後、自宅に戻り母親に高台へ逃げるようにうながした。そして、二階へ駆け上がり、妻にも早く逃げるように伝えた。ここで、彼の声がつまる。すこし間をおいてから、消防団の仲間の元へもどろうとする彼を、妻が涙のたまった目で見上げながら「気をつけて」といったことを話す。
母親は高台への避難が間に合わなかった。妻もそうだ。よく家をあけていたことを二人に対して申し訳ないと思う、と言って誤っている。彼ひとりを残していなくなってしまうことを二人が気にかけていることもよく分かっている、とも言う。「二人に会いたい。」彼はスピーチの途中に何度も呼吸を整え、声がつまらないようにする。でも、やっぱり声がつまってしまう。聞いている皆が、彼が泣いていることを知っている。
参列者も皆泣いている。鼻をすすり上げるのが聞こえる。私の前にいる男性三人の背中を見つめると、涙を拭いているのが分かる。自分も声出して泣き出さないように気持ちを抑えようとするが、呼吸が出来ない。呼吸困難になったのかと思い、ゆっくり息をする。ゆっくり吐いて。吸って。また吐いて。
そして献花。参列者ひとりずつに花一本がくばられる。参列者は千人以上。全員に花が配られるのにどのくらい時間がかかるのだろう、と思いながら、バルコニーから見下ろしていると、驚くほどの速さで人々が動いていくのが見える。私も階下におりて前方にすすみ、白手袋をはめた女性から花を受け取り、ステージへ持っていき、おじぎをしてから、綺麗につみあげられてある花の山に自分の花を置く。
こうして追悼式が終わり、大きな花輪のほうへ向かって歩いていくと、そこに首相から贈られたものがあるのに気付く。会場を出るときに市長に挨拶すると、市長も微笑みながら挨拶をする。
確かに疲れた。でも、重荷のような疲れではない。そして、何より、自分が東北支援に貢献したいことを改めて強く感じている。

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