Saturday, October 27, 2012

記憶の力。ちょっとしたきっかけでまた思い出す震災後の日々。


その夜の出来事はまったく思いがけないものだった。簡単に夕食を食べ、楽しむつもりで外出した私たちは、5人で陸前高田のラーメン屋さんに入った。私を養母と慕ってくれ、私も我が子のように可愛がっている女の子ふたりとその両親とでテーブルを囲み、何杯注文するかを話し合っていた。

「一杯が大きいのよ」とママが女の子たちに言った。「絶対食べきれないわよ」

「食べられるよ」と妹が言い返し、「うん。ママ、お願い!」と姉も加勢する。

「絶対だめだね。食べきれるわけないさ」とパパが言うと、「この子たちが残したらあなたが食べることになるのよ」とママ。

「またかよ?」

ここで一同大笑いとなった。

「餃子も頼んでいい?」妹は今夜はとことん食べるつもりだ。

「アミアさん、明日は何か予定がある?」と聞かれ、私は面くらった。

「予定? どうして?」

「この店の餃子はすごくニンニク臭いんだ」とパパが言った。

「あら」と言って私は少し考えた。明日は確かにミーティングが入っている。ニンニク臭いってどのくらいだろう?

「ひとつだけ食べることにするわ」

おいしい餃子を逃すわけにはいかない。

私たちは注文をすませ、またおしゃべりに戻った。ラーメンが運ばれてきたとき、私はその大きさにびっくり仰天。こんなに大きなラーメンはこれまで見たことがない。

私は「うーっ」と声を上げ、目の前を見降ろした。そして女の子たちのほうを向き、「本当にこれを全部食べるつもり?」と聞いた。

「な?食べれるわけない」とパパが言うのと同時に女の子たちが「食べれるよ〜!」と答え、また大笑いした。

ラーメンをすする音のほかは静かで、カウンター席に座っているおじいさんのことには誰も気がついていなかった。突然、ざわめきがして、厨房から人がどやどやと出てきた。スタッフの一人がおじいさんのそばに立って声をかけている。おじいさんが倒れたのだ。

「どうしたの?」と姉が立ちあがろうとした。

「座っていなさい」とママ。

「すぐ戻ってくるから」と言ってパパは立ちあがり、おじいさんとその周りの人だかりに向かって行った。

おじいさんからは応答がない。厨房スタッフがおじいさんの口にスプーンで砂糖を押し込んでいる。「糖尿病性機能障害よ」とママが言い、私は頷いた。

まもなく救急車のサイレンが聞こえてきた。ママと私は顔を見合わせた。

ママの視線は私の両隣りにいる娘たちに注がれている。私も女の子たちを見た。まず左、そして右。妹は涙を浮かべ、動揺を隠そうとしている。姉は青ざめている。こんなに蒼白な顔をしている人を見たのは久しぶりだ。

「大丈夫よ」とママが娘たちに声をかけた。姉は強がって見せようとして頷いた。妹が私の隣で急いで涙を拭く気配がした。

私は彼女の頭を撫ぜ、「私の膝に座る?」と聞いた。頷いた彼女を抱きあげ、それまで見ていなかったテレビの前に移動し、おじいさんに背を向けて座った。

「あなたもアミアさんの膝に座ってきなさい」とママが姉に言った。私は妹を左の膝に移し、姉を右膝に引き寄せた。彼女は震えていた。

「大丈夫よ。」私はこう言ってさらにテレビに近寄り、画面に映るAKBに話題を移した。

救急車が到着し、おじいさんをストレッチャーに乗せ、急いで出発した。女の子たちは救急隊員を盗み見しようとしていたが、私はそのたびにテレビ画面に注意を引きもどした。

店内がまた静かになると、私たちはまたテーブルに戻った。女の子たちは食欲をなくしてしまっていたみたい。

「救急車を見ると怖いのよね。パパが消防隊の活動をしていたのを思い出すんでしょう?」ママがやさしく言った。

女の子たちは頷いた。パパは消防団に入っていて、津波のあと何日も家に帰らずに生存者を捜し、遺体を回収していたのだった。女の子たちはパパが何をしていたのか十分理解はしていなかったが、ひどく心配していた。そういうわけで、緊急車両が怖いのだ。

ちょっとしたハプニングから楽しいはずの外出がトラウマ的体験になってしまい、記憶のもつ力を改めて思い知らされた。ここでは、痛ましい大惨事後の父親の安全に関する心配が、その夜の私たちの外出を台無しにしたばかりか、覆い隠されていた痛みを呼び戻すきっけかにもなった。

東北の人たちのため、継続的な癒しをもたらす現実的で頑強なメンタルヘルスプランが見つかりますように。それまではこの子たちを、そしてママとパパを、私がずっと抱きしめておく。

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